2020/07/26
【2020年入試】国語の傾向と対策~灘中編②~
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。2020年度灘中入試国語問題について、もう少しお付き合いください。
安田夏菜さんの『むこう岸』は2018年に講談社より出版されました。中学入試国語には比較的新しい著者の作品が用いられます。じゃあ、そんな作家たちの問題を集めた問題集をやればいいのね?ってわけにはいきません。なぜなら中学入試問題の国語読解は、ある意味リアルな体験を入試の場でさせることだ、と言えるからです。そして「対策」ではできない「その子の考え方」を答えさせるのです。勿論そこで道徳的な答えを求めているわけではありません。いかにも現代的な問題提起を作問の中でして、視点の異なる立場でどのように答えるか。灘中二日目の大問二が、『むこう岸』からの出題です。その設問を追っていくと…
問三(傍線)部3「絶句した」とありますが、それはなぜですか。理由を説明した文として、最も適当なものを次のア~オから選び、記号で答えなさい。
ア 母さんのことが大好きなのに、ほかの人に好意を寄せているとかんちがいされたから。
イ 佐野さんが苦労していることについて、母さんは何とも思っていないようだったから。
ウ 社会の調べ学習で、生活保護の制度について調査を進めていたことを否定されたから。
エ 受験勉強とは全く無関係で無駄なことに、うつつをぬかしているように思われたから。
オ 「ぼく」が佐野さんに対して、特別な好意を持っているのではないかと疑われたから。
問六(傍線)部6「プライドというより優越感だ」とはどのようなことですか、答えなさい。
問三の選択問題ですが、よくある「選択肢問題の解法」例えば「設問にある作問者の『意図』を汲め!」や「見ただけであり得ないと思われるものにはすぐ×を!」等を試す前に、この選択肢の内容自体いかがお考えですか?アやエなど。これが入試問題?「『受験勉強と全く無関係な』無駄なことに」…ってアノネ。「母さんのことが大好きなのに」…そこのお母さん、ドキッとしましたか?問六においては「プライドと言うより優越感」って…入試問題として当日これを読み取っていくわけです。問題の冒頭には「リード」があって、そこで物語のそこまでの内容が簡単に語られています。その部分からこの主人公がどのような立場に置かれていて、今の様子等が語られているのですが、まるで受験生に「受験後のこれから」を問いかけているような、とでも申しておきましょう。
違う立場に立って、視点を変えて、人物の気持ちを考えてみる、この「想像力」は開成中でも問われていました。2020年の問題の一つは『君たちは今が世界』朝比奈あすかさんの著書からですが、開成中は男子校でしょ?でも、この物語は女子目線中心で語られていますし、設問もその時の女子の気持ちを答えるなど「立場の違う目線」の想像力が必要なようです。では、これらの問題にはどう「対策」すればいいの?はいはい、そこのお母さん、その姿勢がダメだと言ってるんです!これだけ「思考力」が大切だと言われているのに、まだ気がつかないのですか?「対症療法」のパターン学習で「対策」できる問題だけではないよ、という灘中や開成中からのメッセージを。
今年の開成中は算数が難しくなって、国語が得意な子が有利だったとのこと。相変わらず社会の「東京問題」(江戸川区のハザードマップについて。過去には都営地下鉄大江戸線の問題も。関西人からしたら「知るか、そんなもん!」)もあったので、算数ゴリゴリの関西受験生には厳しかったかも。「灘中は入試に社会がないから、こんなことできないでしょ?」と言わんばかりの、開成の〇〇の〇の小ささもさることながら、とにかく「数を稼ごう」という全国チェーンの大手塾や「遠距離恋愛」ならぬ「遠距離提携」で実績を足し算している大手塾の方々、その手法にいつまで頼るのですか?「騙される」親御がいる限り?救われないねぇ…では、また。
2020/07/09
【2020年入試】国語の傾向と対策~灘中編①~
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。当塾でも灘中・神大附属中等をはじめとして、いくつかの中学校の今年の「入試問題」の解説会を催しています。そんなこと大手進学塾では当たり前のこと。しかも算数。でもスイマセン。当塾はチガウンデス!あなた達とはチガウンデス!今年出されたばっかりの入試問題?算数の解答・解説なら塾のホームページですぐに見れるでしょ?だからチガウンデス!当塾は国語の解説をスルンデス。
当塾の入試説明会では「国語の入試問題はその学校から受験生へのメッセージである」という観点から入試国語の解説をします。どんな作家のどんな作品が今年の入試に採択されたのか、その作品の作家のこと、来年以降の受験生の親御さん、興味がおありでしょう。説明会ではその「エッセンス」を実際の問題からお話を差し上げるのですが、今回は少しだけ「学校別入試国語の傾向と対策」と題してお伝えしていきましょう。
まずは、灘中の二日目の問題から。「物語文」は安田夏菜著『むこう岸』より出題されました。え?安田夏菜?誰、それ?知らないな、と言うそこの親御さんたち、ちょっとお伺いします。「あなた、この頃どんな本を読みましたか?また、どんな雑誌を買いましたか?」え?その週刊誌ですか!え?そのオマケ付きのファッション雑誌ですか、まあ、それもいいでしょうが、当塾では小6の塾生の希望者に『文藝春秋』を貸し出しています。今月号は何と芥川賞受賞作が全文掲載、またノーベル賞を受賞された本庶佑氏の論も載っていてなかなか読みごたえがあります。
そんな本、小学生に読めないでしょ…なんて誰が決めたのですかネ。本物にとにかく触れること。本物を見せること。これは文学・評論にも言えることではないでしょうか。おっと、少し話が逸れました。安田夏菜さんは、小峰書店発行の『日本児童文学』と言う機関紙の中でよく執筆されています。ついでに言うと親和中学・高校のご出身です。さて、この受験に使われた『むこう岸』という作品、なかなかハードです。だって、主人公の「ぼく」は有名私立中学を成績不振で退学して公立中学校に転校。その転校先での出来事から本文が始まっているのですから。
これ、かなり皮肉のこもったメッセージではないでしょうか。「当塾より灘中算数満点者が出ました」なんていう謳い文句はよく聞きますが、この灘中国語科からのメッセージに満足に答えられる大手塾、果たしてどれだけあるのでしょうか?首都圏で国語指導をしていた私(当塾教室長)には、関西の大手塾は「算数さえ鍛えればあとはどうにでもなる」と言わんばかりの指導が中心の様な気がします。「まともな読解の指導をしてるの?」これは言い過ぎでしょうか。この続きは次回に。では、また。
2020/06/26
負けに不思議の負けなし④
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」を原文に近いニュアンスでの解釈で中学受験に当てはめてみた、というお話の続きです。前回の振り返りをしておきましょう。
「勝つときには不思議な勝ちということがある。法則に従い、技術を守ってたたかえば、たとえ気力が充実しておらずとも勝利を得ることができる。このときの自分の心をふりかえれば、不思議と思わずにはいられないからである。しかし負けるときには不思議な負けということはない。法則を無視し、技術を誤れば、負けることに間違いない。それだからこのように言うのである。」ということでした。
これらを更に中学受験に置き換えれば、「法則」とは「入学試験に於いて相手(学校)が提示した問題に対し、相手をある程度納得させられるだけの解答を示すこと。」であり、「技術」とは「適切な訓練を重ねて、そのような解答能力を身に着けること。」もっと具体的に言えば「問題解決に必要な知識や論理的思考力を持つこと」であり、「先人から受け継がれた知識や考え方を学んで自らの思考力を養うこと」となります。
ここまでは前回記したことですね。当たり前ですが、中学受験するのは小学生なので、一応出題範囲には一定の制限があります。それでもその中で問えるテーマはいくらでもありますし、出題形式も考えれば「今まで見たことのないような問題」だってナンボでも出てきます。大抵は「受験用テキスト」で受験勉強することになるのですが、「テキスト『を』勉強する」のと「テキスト『で』勉強する」のとでは既に大きな差が出ます。前者は単なる知識、パターンの暗記であり、後者は知識、パターンをお手本として原理や仕組み、思考法を学習すること。「今まで見たことのないような問題」にも対応できるのはどちらかなんて、火を見るよりも明らかでしょう。
テキストに書いてあることを正しく読み、その中の原理や仕組み、考え方までを自分のアタマで理解して、他人に説明できるまでにしておくことで、「今まで見たことのないような問題」の中にも既存の知識、原理や仕組み、考え方を見出して、だからこれが正解、もしくは正解の一つと考えられるという説明までできるようにする。「法則に従い、技術を守ってたたかう」とは正にこの姿勢のこと。要は「中学受験でも通用する『論理的思考力』を養う」ということです。ちなみにこれは当塾のモットーでもあります。
前回のラストに「中学受験を通じてお子さんに一体何を望むのか」と問いかけました。ここを間違うとこれまでの解釈が根底から覆ってしまいます。「合格」だけが目的だとなると「こうすれば入試で点数が取れる」という近視眼的な方法論ばかりに目が奪われてしまい、それを習得すべき「技術」のすべてだと考えてしまいます。「出題傾向から見て『出ないところ』をやるのはムダ」「過去問を20年分解けばそれで充分」「過去に何問も問題的中させているカリスマ講師の言うことだけ聞けばよい」まるでアヤシイ宗教か?というような眉唾物の言葉も完全に鵜呑みにする親御、結構いるんですね。「我が子だけは、我が子だけは」と呪文を唱えながら…
で、蓋を開けると「やってないところが出た」「過去問と違う傾向の問題が出た」「的中問題のはずが解けなかった」と。そりゃそうでしょうよ。敗因を挙げればキリがありませんよね。「法則を無視し、技術を誤れば、負けることに間違いない。」負けに不思議の負けなし…これは決して「結果論」なんかじゃありません。今もどこかで「負けることに間違いない」受験生親子がいることでしょう。「まさか自分のことでは?」と思ったアナタ。とても賢明な判断です。今すぐに「たとえ気力が充実しておらずとも勝利を得ることができる」ような学習姿勢に立ち返りましょう。では、また。
2020/06/16
負けに不思議の負けなし③
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。前回は「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」を、ビジネス書的な解釈で中学受験に当てはめてみました。乱暴な言い方を許してもらえれば、内容が綺麗事に過ぎずどうも「結果論」的にしか聞こえない。「そりゃそうでしょうよ。で、どうすればいいの?」という感じ。具体的な話が見えてこない。極論すれば「勝てば官軍負ければ賊軍」=「まぐれでも奇跡でも合格すりゃ『勝ち』で、不合格だったら『負け』なのよ。勝因や敗因?そんなもの関係ないわ。」という「合格実績がすべて」の大手塾の方法論、そしてそれを無批判に信奉する親御の姿勢そのものと言えます。落ちてからようやく「洗脳」されていたことに気付いて、今更のようにSNSの「全落ち板」に恨みつらみを書き込んだところでどうなるものでもないでしょうに…
次に、原文のニュアンスに近い解釈で考えてみましょう。「勝つときには不思議な勝ちということがある。法則に従い、技術を守ってたたかえば、たとえ気力が充実しておらずとも勝利を得ることができる。このときの自分の心をふりかえれば、不思議と思わずにはいられないからである。しかし負けるときには不思議な負けということはない。法則を無視し、技術を誤れば、負けることに間違いない。それだからこのように言うのである。」というものでした。ビジネス書的解釈が「結果論」的なのに対し、こちらの方は勝負に向かう前の姿勢や考え方に焦点を当てたものと捉えられるのではないでしょうか。剣術における解釈については専門の方にお任せするとして、ここでは「法則」「技術」という言葉を、それぞれ「守らねばならない決まり。おきて。」「訓練により身に着けた、物事を巧みに行う能力(テクニック、スキル)」と定義することにします。
これらを更に中学受験に置き換えれば、「法則」とは「入学試験に於いて相手(学校)が提示した問題に対し、相手をある程度納得させられるだけの解答を示すこと。」であり、「技術」とは「適切な訓練を重ねて、そのような解答能力を身に着けること。」もっと具体的に言えば「問題解決に必要な知識や論理的思考力を持つこと」であり、「先人から受け継がれた知識や考え方を学んで自らの思考力を養うこと」となります。お子さんに中学受験をさせるのならば、まずは親御さんがこういう「定義」を自らのアタマでしっかり考えておく必要があります。
「中学受験を通じてお子さんに一体何を望むのか」という最も基本的な問いにアナタはすぐに答えられますか?「そんなの決まってるわ。偏差値の高い学校に合格することよ。」先に断っておきますが、こんな答えは「下の下」です。ちょっと脱線が過ぎましたか。続きは次回に。では、また。
2020/06/05
負けに不思議の負けなし②
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」という言葉を、中学受験に当てはめるとどう解釈できるだろうか、というお話の続きです。
まずはビジネス書的解釈。「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に必ず何か負ける要素がある。一方、勝ったときでも、すべてが良いと思って慢心すべきではない。勝った場合でも何か負けにつながったかもしれない要素がある。」こういう考え方はどちらかというと「結果論」的な解釈かな、と私(当塾代表)は捉えています。中学受験で例えれば次のようなことではないでしょうか。
真面目な受験生なら、合格したいがために多大な努力を積んでいるハズ。それでも、どの科目、どの単元も完璧に仕上げるというのは至難の業で、相対的に苦手、弱点が出てきてしまうものでしょう。大手塾の「競争原理」の下では、その度合いによって「能力別」に輪切りされます。いろいろなテストを経て総合的に見た結果ですので、その順番には一定の合理性はあります。塾でのクラスに親御が一喜一憂するのは、それが我が子の「価値」に他ならないからでしょう。
ところが、入試という「一発勝負」となると必ずしも塾での序列通りとはいかないことも。何回も行われるテストでの総合的な結果なら「穴」の少ない子が最後には上位となります。ですが、総合的には上位の子でも、「たまたま」その年の入試に限っては「やたら自分の苦手・弱点の比率が高かった」とか、苦手な国語を算数でカバーする作戦で過去問では成功していたが、「たまたま」その年の入試に限っては「算数が激ムズで点差がつかず国語が得意な子に有利となった」とか…でやられることだって現実にあります。逆の理由で、塾の模試やクラスは下位だった子が入試で「下剋上」を果たすこともあるのです。
もちろんすべてがそうだという訳ではなく、難関校ほど逆転は起きにくいことも重々承知。これは、高いレベルでのボーダー争いなので、「穴」の多い子が逆転する余地が決して大きくないことに因ります。それでも、中には「お前よく受かったな」という例もあり「勝ちに不思議の勝ちあり」となります。一方、どんなに上位だった子でも入試に落ちれば「あれができなかった」「あそこは勉強が足りなかった」「やっぱり国語ももっと強化しておくべきだった」といくらでも「敗因」が心に浮かぶことでしょう。親御の「模試ではA判定だったのに…あの塾に行かせたのが失敗だった」というようなのも含めて「負けに不思議の負けなし」となるのでしょう。
私が大手塾に勤め始めた年、上司にこう言われたことがあります。「表向きには言ってはいけないことだが、全員が合格するということは現実的にはないこと。受験学年を指導したからには、どういう子が受かってどういう子が落ちるかという傾向を掴むように。それを次年度に活かさねばならない。」今年落ちた子を「他山の石」として来年は合格者を増やせばよい、とも取れます。そういう意味で、ビジネス書的解釈を「結果論」的だとした訳です。これらを踏まえて、大手塾の出す合格実績の「数字」の意味をアナタはどうお考えになるでしょうか。このテーマもう少し続けます。では、また。