ブログ・コラム
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2020/05/26

負けに不思議の負けなし

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。私(当塾代表)も当塾教室長も長年G党をやっていますが、星野さんに続いてノムさんまでも鬼籍に入られてしまったのは何とも寂しい限り。中学受験も毎年毎年が勝負。「勝つ」ことへの強い気持ちに多分に共感していたものです。

さて、ノムさんの名言として有名なものに「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。」という言葉があります。ノムさんの本のタイトルにもあり、はじめはノムさん本人の言葉かと思っていましたが、剣の達人でもあった肥前国平戸藩主が隠居後に著した剣術書に出てくる言葉だと後で知りました。ビジネス書等ではこの言葉を「負けるときには、何の理由もなく負けるわけではなく、その試合中に必ず何か負ける要素がある。一方、勝ったときでも、すべてが良いと思って慢心すべきではない。勝った場合でも何か負けにつながったかもしれない要素がある。」と解釈することが多いようです。

もう少し噛み砕いて言うと「試合に勝つためには、負ける要素が何だったかを抽出し、どうしたらその要素を消せるかを考えていく必要がある。また、もし勝ち試合であっても、その中には負けにつながることを犯している可能性があり、その場合は、たとえ試合に勝ったからといって、その犯したことを看過してはならない。」という戒めを述べているものと理解できるでしょう。

ですが、原文のニュアンスはちょっと違うようです。(吉田豊氏編「武道秘伝書」から引用)
予曰く。勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
問、 如何なれば不思議の勝ちと云う。
曰く、 遵道守術ときは其心必不勇と雖ども得勝。是心を顧みるときは則不思議とす。故に曰ふ。
又問、 如何なれば不思議の負けなしと云ふ。
曰、 背道違術、然るときは其負無疑、故に云爾客乃伏す。

予が言った。「勝つときには不思議な勝ちということがある。しかし負けるときには不思議な負けということはない」
客が問う。「なぜ、不思議な勝ちと言われるのでしょうか」
予が答える。「法則に従い、技術を守ってたたかえば、たとえ気力が充実しておらずとも勝利を得ることができる。このときの自分の心をふりかえれば、不思議と思わずにはいられないからである」
また問う。「では、なぜ不思議の負けはないと言われるのでしょうか」
予はまた答えた。「法則を無視し、技術を誤れば、負けることに間違いない。それだからこのように言うのである」と。
客は平伏した。

ビジネス書的な考え方と原文のニュアンスに近い考え方を中学受験に当てはめると、それぞれどのような解釈になるのでしょうか。これについては次回に。では、また。

負けに不思議の負けなし
負けに不思議の負けなし

2020/05/16

算数から数学への「思考」変換

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。コロナ騒動のために卒業式や入学式が「規模縮小」「簡素化」されたことも記憶に新しいところでしょう。小学校の卒業式では「来賓の言葉」なども予定されていたはず。地域の中でこその公立の小学校、地域の人にいろいろな意味で見守られながら過ごした小学校生活。昔とは様子も変化していますが、人間は「孤立」したまま、純粋培養の中のシャーレの上では生きていけないのでしょう。コミュニケーションとは何か。おせっかい?自分の気に入る情報収集?後は無視或いは攻撃?これらのことを、今回のこの騒動の中で考えてみたいと思います。

この春私立中へ入学する子どもたちのために、当塾では「中学入学準備講座」を開講していました。ざっと言うと英数国の「中学生的指導」です。数学は個々にも違いはありますが「『正の数・負の数』だけお口汚しにやってみる」なんてことはもちろんイタシマセン。公立中学入学の「先取り学習」ではないのです。学問としての「数学」その基礎である中学数学入門と位置付けています。数学は代数と幾何に分けて、代数なら連立方程式まで、幾何なら関数も含めて空間図形と平面図形まで、ザクッとやってしまいます。

「そんなこと言っても、みんなついてこれるの?出来るはずないわ」そうお思いの方はどうぞご勝手に。私たちが目指しているものは「中学入学後に、中学校の学習についていくための講座」ではないのですから。「そんなの解説して、黒板にチョット書いて終わりじゃない?」そうお思いの方はどうぞご勝手に。渡された解答を手に、中学受験でクロウされた方には考えられないかもしれませんね。もちろん、これだけはつまずいたらダメだ、という箇所が数学にはあります。その「関所」の通過までは何回もできるまでやってもらいます。たとえ100回でも、同じ問題の途中式を書いてもらうことも。

でもその後は、自分の力で先に進んでいってくれます。翼に大きな風を受けて大空に飛び立つ鳥のように、数学の世界へ飛び立っていくのです。受験のための「暗記」が勉強だとお考えの方には信じ難い事かもしれませんね。でも、いつまでも「一緒に○つけをしてあげる」「テストの結果をファイルしてあげる」なんてことはできないのです。子どもたちにはそれぞれの「空」があって、もう「巣立ち」の羽ばたきを始めています。お父さんやお母さんはその「空のゆくえ」までの司令塔にはなれないのではないでしょうか。手を離しましょうよ、いい加減に。

さて、私立中高一貫校では「入学までに、これだけは」という形で宿題が課されるところが多いですね。数学なら小学校の復習から正の数・負の数、英語ならアルファベットや簡単な単語、国語ならまず「読書感想文」そして漢字や読解問題、学校によっては理科や社会も。入試で課さなかった科目を基本だけでもいいから勉強しておきなさい、という意味もあるようです。その宿題にも「お国柄」ならぬ「学校柄」が実によく出るものです。この話の続きは別の機会に。では、また。

算数から数学への「思考」変換
算数から数学への「思考」変換

2020/05/08

親は「リアル」に何を求める?

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。今年度の私立中学の入学式、「保護者の参列はご遠慮ください」との学校もあり、また講堂などで保護者は「間隔を空けて」座って式に参加、「ただし一家庭で一名の参加でお願いします」との学校も。なんともさみしいものかもしれませんが、これが本来の「入学式」の姿なのかもしれない、との見方を知り合いの大学教授は話していました。「おかしいんだよね、小中学生ならわかるけど、大学生になってまで親が涙を流して入学式に参列なんてのは。一番はしゃいでるのは親なんだよ。式でもおしゃべりばっかり。一番褒められたいのは親なんだろうね、誰も褒めてくれないんだろな。でも褒められたいって、何をかね。」さあ「何を」でしょうか。

その大学教授に私は「でも、今の『親』たちは『自分も主役』『いつでも主役』と思い始めた世代なのではないかな。昔は…と比べると、昔は『私事で恐縮ですが』なんて言い方もあったけど、今はSNSで『いいね!』をすぐに誰にでも求め、期待する時代、そして世代。もうさ、メンタリティーが違うことをこっちが認めないと。」すると大学教授、私にこう問いかけてきたのです。「でも、そうなってくると簡単にチヤホヤされることを求めて『努力?めんどくさ!』となってくる。大学生が今まさにそうだから。何にもしない人が、ちょっとしたことで称賛されているのをズッと見せつけられているとね。そして、塾なんかではすぐ簡単に学力もついて、点数も上がり、志望校に合格もできる方法がないかとなってくる。『リアル』な受験勉強の中に、『現実』の資本主義の社会にそんな『バーチャル』なモノが存在するのかね。」私、こう言っておきました。「『自分が主役』なんだから『失敗も自分で受け止める』自分で考えて、自分で選択する力こそがこれから求められるよ。自分が何を求めているのかも含めて考えてもらおう。」

中学受験を終えた生徒には、中学入学までにやっておくべきことという視点で当塾でも指導をします。例えば、英語では使用している洋書(当塾ではペーパーバック版の書物も使ってどんどん英書を「読ませて」みるので)を取り出していたところ、お問い合わせの電話がかかってきました。「どれだけの量のプリントをやるのですか?」「どんな教え方をしているのですか?」「上の子は他塾で私立中に受かったのだけど、中学入学準備講座だけでも受けられませんか。今の塾の中学部ではオンライン授業だけなので。」等と矢継ぎ早に質問が。「オンライン授業があるのならいいではないですか。画面の前で講師との相互のやり取りができるのでしょう?」とお返事したところ、このようなお答えが返ってきました。「塾をお休みしたときだけならまだしも…それに『なんだ、こんなんじゃテキストそのまんまじゃないか。』って主人が言うものですから。」

今回のコロナ騒動で、集団授業中心の大手塾が相次いで実施したオンライン授業。「リアル」授業の代替という訳ですが「オンライン授業だけで通常通りの授業料って納得いかない」という声も。では、「リアル」にはあって「オンライン」にはない付加価値とは一体何なのでしょうか。大学教授の言う「すぐ簡単に学力もついて、点数も上がり、志望校に合格もできる方法」に、「オンライン」は当てはまらないのでしょうか。また別の機会に考えてみましょう。では、また。

親は「リアル」に何を求める?
親は「リアル」に何を求める?

2020/04/30

鶏口となるも牛後となるなかれ

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。中学入試の主要な大手塾が出す合格速報って遅くないか?ハイ。だっていろんなところ?から「数」を集めなきゃいけないから、その集計に時間がかかるのでしょう。まずは各校舎の合格者数を計算して、はたまたネット授業受講者からも聞き出して、そして提携塾や資本を投入している塾等の数もすべて集めて「合格おめでとう」なのですから。

え?自分の子どもが今通っている校舎での合格者数を知りたい?2021年、2022年受験を迎えるお子さんをお持ちの方は気が気ではありませんかもね。「塾全体で何人かって言われてもねぇ。見たこともない他校舎での合格者数よりこの校舎の数字を教えてよ。ココでしょ、ココ!」だって、この校舎の先生が教えた塾生たちが何人合格したのか、来年我が子がその先生に教わることができるのか。それによって、我が子の合格も左右されるでしょ?そうですよね、大手進学塾で他にもたくさんの「支店」を持っているところは、力のある講師を或る「支店」に集めてその「支店」に成績優秀な塾生を選抜して集めて、というパターンがよくありますからね。だって、そっちの方が指導しやすいし、宣伝もパフォーマンスも効率的で派手にできるから。では、そのような塾に2021年、2022年の受験生を通わせている親御さんにお聞きします。「もし、担当のエース級講師が辞めたら、或いは他校舎へ移ったらアナタはどうしますか?」

まあ、でも既にお通いだったら、何だかんだで校舎単体の合格者数はわかるものですよね。他校舎に通っているママ友の情報等から塾全体の「真の合格者数」=校舎通塾生だけでの合格者数も何となく把握できるものです。そんな情報がネット上で飛び交うのもいつものこと。問題は、これから塾を選ぼうとしている方。ネット上にある情報が信用に値するかどうかわかりませんよね?その情報の信憑性を確かめようして更に情報を得たとしても、その情報がまた「似非」だったりしたら…もうキリがありません。

で、頭が大混乱した挙げ句「とにかく数字が大きければいい」と開き直ることになるのではないでしょうか。大手塾がどんな手を使ってでも数字を大きく見せようとするのは、親御のそういう「弱み」を見透かしているから。塾の合格実績については、一応「協定」なるものはありますが絶対遵守事項ではなく法的拘束力もありません。最近は個人情報の保護を盾に、かつてあった「合格者の氏名や出身小学校をチラシで公表」することもなくなり、校舎内で掲示する程度となっています。そして、他塾からのスパイを防ぐために「写真やメモは禁止」スパイの目的は「本当に合格者が発表の通りか、自塾の生徒がカウントされていないか」を確かめるため。他塾生を1日だけ「特訓」と称して受講させただけで「自塾生の合格」とする例も。それを指摘されると謝るどころか「ウチで『特訓』したから受かったようなもの。あの塾の授業だけでは受からなかったはず。」と開き直る始末。お主も相当のワルよのぅ。

こんな例もあります。首都圏で提携していたA塾とB塾があり、新たにA塾が関西のC塾とも提携して、お互いの合格実績を合算することになりました。すると、このC塾の実績は自動的にB塾の合格実績にも合算されることになるのです。1人の合格が3つの塾でそれぞれカウントされるのです。「各塾の合格者数を合計したら学校発表の合格者数を遥かに上回る」というのは当然と言えば当然のことなのです。

では、ここで二択問題です。「『〇〇中合格者数日本一』の塾に通ったけれど〇〇中には届かず」と「『〇〇中に1人合格』の塾で〇〇中に合格」あなたはどちらを選びますか?先人はこう教えてくれていますよね。「鶏口となるも牛後となるなかれ」では、また。

鶏口となるも牛後となるなかれ
鶏口となるも牛後となるなかれ

2020/03/31

それでも「リベンジ」と気軽に言えますか?

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「私立高校」と聞いて、アナタはどんな印象をお持ちでしょうか?

田舎度が高い(失礼!)地域出身の方だと「公立高校の滑り止めでしょ?」という答えが大半ですね。当塾では入塾相談を受ける際に、保護者の方の中学受験経験の有無をお尋ねしています。中学受験に対する考え方が、経験の有無で大きく異なるからです。都会で中学受験を経験した方なら、受験勉強の内容が小学校のそれとは別次元であることくらい常識ですよね。ところが、田舎で中学受験未経験となるとその常識が通用しません。公立高校受験くらいの意識なんですね。「私立?金出したら入れてくれるんじゃねぇの?」レベル。そうなると話がまったく噛み合いません。神戸で例えれば「灘高校って長田高校や神戸高校の滑り止めでしょ。中学から行く意味あるの?」っていうようなもの。もはやお引き取りいただくほかアリマセンな。

「中学受験で第一志望校に合格しなかったら、とりあえず地元の公立中に行って、地元のトップ公立高校へ行くからいいの。」とか「高校受験でリベンジさせるわ。第二志望校やその他の私立中に行くくらいなら、地元の公立中に行って3年間頑張らせて、もう一回チャレンジよ!」…ふーむ。よく耳にするのが灘高校・西大和学園高校・須磨学園高校・大阪星光学院高校・洛南高校といったところでしょうか。「あんなに頑張って中学入試の勉強をしたのに、我が子が可哀想。初志貫徹だわ。」

私たちは、中学受験残念組が私立高校受験を目指した例をいくつも知っています。我が子が「不合格」だったことを諦めきれない、お子さんが悔いを残したままでは可哀想、というお声もよく耳にします。辛いけれど「全落ち」してしまって…ならば高校受験でリベンジを、ということでしょうか。

ちなみに灘高校の入試は2日間。40名募集のところ、今年の志願者は165名。いやー、スゴイ。え?何がスゴイかって?倍率もそうですが、入試問題もかなりの難度。中学入試の方が入りやすい?そこまでして入学しても、中学入学組と混合で苦労している生徒も少なくありません。

「リベンジ」と言うのは容易いですが、親御の見栄だけではなかなかできることではありません。実際に勉強するのはお子さん本人。本人の気持ちが本当に固いものであればいいのですが…では、また。

それでも「リベンジ」と気軽に言えますか?
それでも「リベンジ」と気軽に言えますか?