ブログ・コラム
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2021/04/21

「中学受験は親の受験」って何?

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。中学受験されたみなさん、お疲れ様でした。コロナの影響の中、出来ることを精一杯頑張られたことでしょうね、私(当塾教室長)から、受験生そしてその親御さんたちに「ありがとう」と言う言葉を送らせてください。

さて、今年の中学入試風景は例年よりも一味違った風景だったようです。校門前などでの戦国時代さながらの、出征前さながらの送り出し風景は、どの学校もさすがに形を潜めていたようです。事前に塾相手に「警告」のお知らせが学校からあったこともありますね。入試直前に余計なプレッシャーを、他塾の塾生に与えることもできなかったわけです。考えてみれば、そんな風景はもはや時代遅れなのでしょう。「何言ってるのよ!今まで頑張ってきたからこそ、こっちは万全の思いで試験会場に向かわせるのが花道ってもんでしょ。中学受験は親の受験でもあるっていうでしょ。頑張ってきたのは私たちも一緒。だから自分で自分たちを褒めてあげたい。これは私達の花道でもあるのよ。」ワー!と感極まって号泣…そうですか、お疲れ様です。

では、お聞きします。「中学受験は親の受験」ってどういう意味ですか?そりゃ「親ができることは何でもすること」でしょ。ふむふむテキストやノートの類にお子さんの名前を書いてあげたりすることですか?自分のことは自分でさせましょうよ。赤ちゃんでもそうでしょ。自立させなきゃ。テキストで✕のついた問題を別のノートに書き写して弱点対策ノートを作ってあげることですか?でも、そのノートを作ったところでお子さん自身がその弱点に向き合いましたかね?出来ることをまず積み重ねていかせないと、弱点にまで思考は及ばないんじゃないでしょうか。単元での弱点をざっと知ることは大切ですが、×のついた問題なんてテキストに×をつけておけばいいのではないでしょうか?尤も基本問題が出来ていないのであれば別ですがね。

また、「家では全く勉強しないんですもの。塾に11時ごろまで遅くまで残らせてもらって頑張ってます。」家で宿題やれなんて言われても、家庭学習の管理は結局親の私たちがやれって言うんでしょう?だったら、塾で全部済ませてきてほしいというのがホンネ。塾任せって言っても、毎日の送り迎えだって大変だったのよ。そうですか。やることがたくさんあって大変でしたね。「中学受験は親の受験」この言葉の意味をもう一回考えてみましょう。親の受験といっても親が再び受験生になるわけではありませんよね。でも、言われたんです、某塾に入塾するときに「中学受験は親御さんの入試でもあります。頑張ってくださいね。」って。どこの塾じゃ?それは。少なくとも当塾ではありませんのでそこのところヨロシク。

いろいろ総合してみると、要はお子さんのサポートをしろっていうことですよね。一人じゃできないから、問題がわからないと泣き出すから。それではお聞きしますが、親のアナタは家で何をしていますか?子どもが勉強している隣の部屋でスマホ三昧ではないですか?お子さんは親のことを見ています。親のアナタがおよそ受験とは関係ないことに現を抜かしているところも。「何でボクだけが勉強しなくちゃならないんだよ?みんな遊んでるのに。」読書でも、資格試験の学習でも何でもいいので、親のアナタも始めましょうよ「勉強」。親の背をみて子は育つ、でしょ?お子さんに「勉強しなさい」と言うのなら、我が振りも見直されてはいかがでしょうか。中学受験は親が自分も勉強し直すチャンス、パパやママもやるじゃん、と子どもに見直させるチャンス、親が子どもから自立するチャンス。そう捉えてみましょう、正に「親の受験」でしょ?。では、また。

「中学受験は親の受験」って何?
「中学受験は親の受験」って何?

2021/01/22

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか⑤

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「待ったなし」教育改革の産物として、公立中高一貫校や大学入試改革の話を書いてきました。今回はもう一つの産物である「新指導要領」をテーマとして話を進めていきたいと思います。

小学校で施行された「新指導要領」ですが、移行数年前から移行措置期間に入っていたので、現場では既にいくつかの内容が先取りされていました。もちろん、今ではそれらは正式に教科書に反映されています。例えば小学校算数では、「メートル法」を小3に繰り上げ、それに必要な考え方として10倍、100倍だけでなく1,000倍も同じ小3で学ぶことになりました。m(ミリ)やk(キロ)を学ぶには1,000倍という概念が必要なので当然と言えば当然。国語の漢字では小4で都道府県に使われる漢字をすべて書くように改訂されました。小4社会で日本地理を学ぶのですからこれも合理的だと言えます。

全体を見ると、特に算数において小4から小5にかけて内容が重くなった感じがします。「メートル法」が小3になったことで、その出来不出来が小4の「面積」や小5の「体積」にもより大きく影響することになるでしょう。また、決定的に算数のセンスが問われる「割合」の概念が小4・小5で入ってきます。算数を単に計算と捉えているとここで躓くことになります。「何と比べて何が何倍」という数を使った文を、「比べられる数」「元になる数」「割合」の要素に分けて読むことができるか。国語の文を読むときに、何が「主語」「述語」「修飾語」に当たるのか読む力にも通じるのですが、どちらもできない子が本当に多いです。「割合」ができないと同じ概念を用いる「速さ」もできません。その「速さ」も小6から小5に繰り上がっています。

こう見てくると、今まで以上に早い段階で算数のできる子とそうでない子との差が生じてくるものと思われます。ちょっと前まであれだけ「ゆとり」を標榜していたのに、なぜ今回からこのように早い流れになったのか。そこには首都圏の公立中高一貫校人気があると考えられています。その辺のお話は次回に。では、また。

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか⑤
中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか⑤

2020/12/14

寝言は寝てから言ってくれ⁉

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。世界経済に取り残されるという強い危機感を持った経済界からの「待ったなし」の要請を受けて、国が重い腰を上げた教育改革。公立中高一貫校と並んで大きな改革軸となったのが「大学入試改革」でした。その目玉が「大学入学共通テストの国・数に記述式問題を導入」「英語の4技能を測るため民間の英語検定を採用する」「これまでの学習歴・活動歴を評価する」でしたが、前の2つは迷走した挙げ句に見送りになったことはご存知の通りです。それまで教育現場で渦巻いていた不平・不満・不審・不信が世間の知るところとなり、社会問題にまで発展したものです。民間委託による情報利用の疑惑等が多くの人の俎上に上り、それまで見て見ぬふりをしていた文科省も、大臣の失言という失策も重なって姿勢を転換せざるを得なくなりました。

生き残り競争の激しい中堅私立校等は「大学進学実績」が入学者獲得に直結するため、早くからこの入試改革に対応すべく準備を進めていました。記述力向上のための授業、民間英語試験対策、eポートフォリオと、学校情報を扱う民間大手企業の力も借りて対策を進めていました。さあ、いよいよその成果を!…というところでの見送り。そういう学校からは大きなタメ息が聞こえてきました。

これを「私立が勝手に先走りしただけでしょ?大臣が言うように『身の丈に合わせて』お金があるところだけが有利になるなんて許せないわ。」またお金ですか?では、公立に投入されている税金のことは?収支を考えれば、あんなお安い授業料だけで学校が運営できる訳ないでしょう。お金のことを言うのであれば、納税者が公立行かせた親御に文句言うことはあっても、公立行かせた親御が私立に行かせた親御に何かブツブツ言う資格はまったくないことになりますよ。

さて、ある私立中高一貫校関係者の言葉がなかなか興味深かったので抜粋してご紹介します。「大学入試改革の混乱はありますが、もとより本校はマイペースで教育活動をしているので、この迷走から受けた被害は小さかったと思います。」となかなか強気の伝統進学校です。「これは私の個人的感想であり学校としての見解ではない」とありますので、「あ、あの学校だ!」とおわかりになった方も胸の内に秘めて、ネタばらしはされないように(笑)

「大学入試改革の一連の議論と混乱の中で次のような『変な話』が罷り通っていることに驚き、呆れておりました。その一部をご紹介します。」とあり、いくつかの「変な話」とそれに対するご意見が書かれています。

「これからは正解の見えない時代だ」→これまでは正解が見えたということか?それに、正解が見えない時代の入試制度の正解って何?
「思考力・判断力・表現力を測る入試にする」→「表現力」は技能に属するもので「思考力・判断力」とは位相の異なる能力でしょう。それらの異質のものをいつもいつも、あっちでもこっちでも同列に並べて論じておられますが、その時点で「思考」停止になっていませんか?
「記述式の採点が技術的・物理的に無理ならば、AIに採点させればいい」→AIに負けない人材を育てようというのに、AIに選抜される受験生って…(泣)
「主体的・協働的に学ぶ学ぶ態度を入試で評価せよ」→態度は評価できません。下手をすると「受験対策としてボランティアをする」若者続出。生徒会長経験者プラス50点、クラブのキャプテン30点って…マジっすか?
「今の入試は偏差値輪切りの選抜になっている。人物本位の入試にするべきだ」→えらく古風なご意見ですが、人物本位の入試など人間への冒涜ではないでしょうか?大学で学ぶための学力を評価するのが入試です。その選抜が人格と無関係であることこそ大切なのではありませんか?人物本位の入試で不合格になったら「人間失格」やて!

「こんな寝言のような俗論を社会的地位のある(社会的地位しかない?)いい大人が居酒屋放談さながらに振りかざして、現場や専門家の知見をないがしろにしてきたように思います。入試改革をめぐる混迷はこのあたりに起因しているのでしょう。」と締められています。さて、社会的地位のある(社会的地位しかない?)いい大人の皆さん、これらの現場や専門家の知見に対してどのように論理的に返されますか。では、また。

寝言は寝てから言ってくれ⁉
寝言は寝てから言ってくれ⁉

2020/12/03

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか④

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「中高一貫校の『高校募集』は絶滅するのか」というテーマで話をしてきました。幹の話を進めるために枝葉の話もその都度挿入したため、やや冗長になったやもしれません。もう一度まとめておきます。

1、世界経済のグローバル化が進行する中、「世界の経済強者を相手にしても渡り合える有能な人材を育てなければ国が衰退する。」という強い危機感が経済界に生じた。
2、「グローバル人材の育成」を軸にした教育への転換を、経済界が国に強く要請した。「国民総中流ではなく、国を引っ張る優秀なグローバルリーダーを育てよ」と。
3、焦りも露わな経済界の声をいよいよ無視できなくなった国が重い腰を上げて教育改革に乗り出した。「グローバル人材の育成」=「グローバル経済でも生き残るために必要な有能な人材の育成」と定義して、どんな能力が必要なのかを目標として設定し直した。
4、育成を目指す資質、能力は「知識、技能(何を理解しているか、何ができるか)」「思考力、判断力、表現力等(理解していること・できることをどう使うか)」「学びに向かう力、人間性等(どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか)」
5、その資質、能力を身に着けるための学び方として「主体的・能動的で深い学び」を取り入れる。
6、その資質、能力を身に着けるために学ぶことを大学入試改革で示す。「記述式問題の導入」「英語『4技能』評価」等。

まあなんだかんだ言っても、大半の親御にとって大学入試がどうなるかということが一番気になることでしょうから、最後の6、ばかりがクローズアップされてしまうのは致し方ないのでしょうね。しかし「新しい大学入試で合格するにはどうすればいいか」というノウハウを手っ取り早く知りたいというだけでは、結局今までの古い思考回路から脱却できていないことを晒しているだけ。古臭い考え方の親御には、お子さんのこれからを論じる資格もないのです。

公立中高一貫校が「高校募集」を止める理由をもっとハッキリ言えば、「公立中でセンセ―というあまりにも、あまりにも狭い『社会』の評価によって得た内申点で公立中高一貫校に来られても、正直3年程度で『グローバル人材』にする指導はムリ」ということ。旧態依然とした国内企業で、公立中で培った同調圧力に逆らわずにそれなりの「評価」を受ける「能力」を発揮するだけなら何とかなるかもしれませんが…国の要請を受けて誕生した「公立」中高一貫校が、これまでの「公立」のやり方を否定した、と言っても決して過言ではないでしょう。

私立の中高一貫校だってうかうかしていられません。首都圏や阪神間にある私立には、厳しい生き残り競争の副作用として、大学進学実績を最重点事項とする姿勢のところも少なくありません。ところが、新しい大学入試制度に「そういう狭い視野のままではこれからは通用しないよ」と言われたのです。ただ、地方の公立上位校だって似たり寄ったりなんですよ。だって、親御の要望がそればっかりなんだもん。本当は学校ばかり責めるのはお門違いも甚だしいんですよ。これ、実際に現場の公立高の先生から聞いた話。親御相手の進路指導、本当に大変なんだそうです。都市伝説ではありませんが(笑)信じるかどうかはアナタ次第です。こちらがいくら事実を示しても、どこかの政治家みたいに「そういうことは承知しておりません」では議論にもなりませんから。では、また。

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか④
中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか④

2020/11/20

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか③

神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。首都圏の公立中高一貫校が相次いで高校募集を止めることを発表した件についてお話を続けましょう。

その前提として、大学入試をはじめ今般の教育改革で何が求められているのかをおさらいしておきましょう。やれ思考力だ、やれ表現力だ、やれ英語4技能だと、表面的なことばかりに目が奪われているようですが、一体、どこからの要請なのでしょうか。少なくとも学校側からの動きではないことは確かです。むしろちょっとの変化も好まない保守的体質であることは、大学入試改革に対する後ろ向きな姿勢からも明らかです。それでも、競争の厳しい私立高は「生き残り」をかけて何とか対応しようとしていました。英語の民間試験導入見送りで一番ホッとしたのは、対応がなかなか進まなかった上位の公立高校です。変化を好まないというところは、公立校こそが正に「これまでの日本の縮図」だから。

一億総中流社会で「みんな一緒」にモーレツ社員やって、国内でカネが回ればどうにかなった時代のレガシー。この反対は?そう「グローバル社会」です。人口減少で縮小が必至の国内市場だけではもはや経済成長は見込めない。海外市場に打って出て、カネを稼いでこなければ先はない。しかし、これまでの国内のライバル企業とは桁違いの、国家を凌ぐほどの経済力を持つグローバル企業を相手に戦わねばならない。そのためには本当に有能な人材でなければ戦えない。一刻も早くそういう人材を供給してほしい…そう、教育改革の要請元は「経済界」なのです。「経済界」が相手では「教育界」の抵抗も取るに足らぬもの。文科相の失言で先送りにはなりましたが、国の教育目標が「グローバル人材の育成」の流れであることはもはや抗えないでしょう。後は具体的な手段をどうするか、だけのことです。

その流れは公立中高一貫校にも見られます。ただ「中高一貫」を真似たのでは、私立が公立より優れていることを認めてしまうだけ。「グローバル人材の育成」というのはそれこそ錦の御旗。公立中高一貫校が掲げたこの御旗、今では新設の中等教育学校だけでなく既存の私立中高一貫校もその旗を掲げるようになりました。「公立の安い授業料」も大きな魅力だったのでしょうが、「新しい教育」への期待感が大きいことの表れでしょう。競争率も高くなり、難関私立中入試並みの厳しい受験を乗り越えなければならなくなりました。「お金が安いから」と言う程度のモチベーションではとても受かりません。これは、神戸大附属中等でも言えることです。女子は神戸女学院レベル、男子は六甲や須磨学園、関学上位レベルが必要です。

その公立中高一貫校が高校募集を止めるということは、「グローバル人材を育成するには高校からの3年間では足りない」というメッセージなのでしょう。自前で3年間土台をしっかり作った生徒と一般の公立中の生徒ではハッキリと差があったのでしょう。中途半端に高校から入れても目標通りに育てられないのであれば、高校から入れない方が良いのでは?となっても不思議ではありません。見方を変えれば、元々公立高だった学校が「同志」であったはずの公立中を見限ったとも言えます。「グローバル人材の育成」という新たな教育においては、従来の公立中ではその基礎すら育成するのが難しいということなのでしょう。

これだけの大きな新しい流れを理解するには、教育や学校に関する古い考えは捨てた方がいいでしょう。古い考えに固執して新しい流れに乗りそこなう例はいくらでもありますから。

「私立はお金持ちが行く」正直授業料出すのは痛いのだけど、この学校の指導方針なら我が子を任せたい。お金は何とかするという親御さんを今まで何人も見てきています。タダ同然の公立があるのにわざわざお金を出すなんて…お金がすべての方には何を言ってもムダなんでしょうね。お子さんのために「環境を買う」=「学校を選ぶ」という価値感もわからないのでしょうから。だったら黙って公立に行けばいいだけの話。お金の話だけでは下品ですし、それこそ「グローバル人材」の対極です。「別にウチはお金持ちじゃないよ」と言う私立出身者に対して「お金をかけない」ことを自慢しているようでは「これだから公立出身者は…お金のことしかないの?頭が固いんだな。」となるのも無理ないでしょう。

長くなりましたので、続きは次回に。では、また。

中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか③
中高一貫校の「高校募集」は絶滅するのか③