2019/12/02
【学校情報2020】新しい清風は何処に吹く①
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。このブログの1つの大きなテーマとして、学校情報をご紹介するというのがあります。とはいえ、パンフレットや市販の学校紹介本にあるような通り一遍の内容では面白くもないし、学校の「本当のところ」も見えてきません。当ブログでは、説明会で実際に先生方の生の声を聞き、その話の背景を表情や身振りなどから感じ取り、なるべく私たちの言葉でお伝えしようとしています。
スーパーコンピューターの「京」が神戸市の理化学研究所から先日撤去されました。もし、あなたの家に「京」が一台やってきたとしたら…さすがに個人の家に来ることはないでしょうが、どこかの学校に来るとしたら?今回はそれが実現するであろう、何ともITチックな、でも同時に伝統チックな学校「清風学園」を紹介したいと思います。
清風中学・高等学校は大阪市天王寺区という最も大阪らしいともいえる場所にあり、古い円形校舎と、何と言っても男子器械体操でオリンピック選手を多数輩出した学校というイメージが強い方もいらっしゃるでしょう。姉妹校には共学校の清風南海学園があります。私(当塾教室長)は関東の人間なのであまりピンときていませんが「角刈りで校則が厳しい男子校」そして高野山までの夜通し100キロ歩行など「厳しく」「清く」「逞しく」のイメージを持っていました。はあ?抹香臭い?誰ですか、そんなことなどちっとも思っていませんよ!
その純日本的な高野山真言宗の学校が、去年から「国際六か年コース」を立ち上げました。そのスローガンは「英語を話す人材ではなく、英語で日本を語れる人材を」「英語でどう話すかより、何を語るか」。そのために各界の多彩な指導者を学校に招いているのですが、その中の一人にスーパーコンピューター「京」開発者の井上先生がいらっしゃいます。大学入試改革に伴って新たに問われる「思考力」「判断力」「表現力」を育むために、清風独自の論述指導・読書感想文指導が既にありますが、その先の「主体性」「多様性」「協働性」を問う新入試制度に対応すべく、独自のICT教育のための授業づくりのためのようです。
「コンピューターに操られる人間ではなく、コンピューターを創る人間になる」ためには、使い方だけではなくコンピューター内部のことをまず理解しなくてはダメだ。人間を理解するのに表面的な衣食住の「見た目」ではなく深くその対象の「内部」に入り込んでいく。なるほど、まるで仏教の「無」の境地です。これぞ、清風魂ここにありですね。「この複雑になった世の中で最後に残るのは『宗教』だと思うのです。」と御年90とウン歳になられる理事長がおっしゃいました。どういう意味でしょうか。続きは次回に。では、また。
2019/11/23
あなたもう餓鬼道に落ちてますよね③
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。おっ、こんなところに塾ができとるやないか。中学受験塾?ふん、金持ち相手の商売かい。所詮は金積んだモン勝ちなんやろ。塾長言うて偉そうに勉強教えとっても、どうってことあるかい。わしもええ学校なんか行ってへんけど、医者になって随分稼いだで。どれ、わしの武勇伝で一泡吹かせたろか…どうもご苦労様。私(当塾代表)の出身校を聞いて、急に話題を変えようとしているみたいですが、まあ聞いてあげましょ。
「…わしの息子夫婦が住むとこ探しとってな。孫もおるから教育環境が整っている地域がええやろ。この辺りもええな思たもんで、こうやって塾も回っとるんや。」
「そうですか。それなら、可愛いお孫さんのためにまずはお金で環境を整えてあげるのもよろしいんじゃないですか。家庭教師を雇ったり、お子さんの教育専用にiPadを買ってあげたり、本当に今はいろんな教育関連の商品が多くなりましたよ。」
「そんなもん、売らんかなのあれやろ。そんなん買うても何の役に立つんや?」
「役に立つかどうかは使う側次第ですよ。今流行の映像授業にしても、役立てる子はどんどん役立てて力を伸ばしますが、そうでない子にとってはつけっぱなしのテレビと一緒。今の子ならYouTubeといったところでしょうが、それこそ金をドブに捨てるようなもんですよ。それこそ、お金積んでもどうしようもない一例ですね。」
「金をドブに捨てる言うたら、わしの家内もホンマにようけ金使いよんねん。〇〇女子校出身のお嬢なもんで、欲しいもんがあったら何でもすぐに買いよる。金の使い方を知らんのやな。全部わしが稼いだ金やで。わし全然使わへんのに。」
「(何の話やねん?と呆れつつ)だから、今度はお孫さんのために使ってあげたらいいんじゃないですか。」
「さあ、そこや。孫は可愛いで。そやけど問題は父親、息子の方や。こいつも散々使いよったで。高校生のときに1年で300万も服に使いよってな。これも全部わしの金やで。浪人のときなんか、なんや有名なブランドのとこのモデルになる言うてな、さすがにそんときは『何考えとるんや』って怒ったけどな。」
いつの間にやら、また金の話になってますがな。それを聞いていた教室長の一言。「いいじゃないですか。どうせお墓まではお金は持っていけませんよ。生きている内にどんどん使ってもらったら。」成金オヤジそれを聞いて口あんぐり。私達のリアクションがことごとく想像の斜め上を行っているといった感じ。そのタイミングで塾生が登塾し、オヤジはそそくさと帰っていきました。このとき、私はある言葉を思い出していました。「おぼんのおはなし」にあったお釈迦様のお言葉を。「餓鬼道に落ちた者を救うことは難しい…貪りの罪で餓鬼道に落ちてしまった母だからこそ見返りを求めない施し(布施行)で救いなさい。」
成金オヤジさん、「中学受験なんて金さえ積めばどうにでもなる」という考えは、正に「自分さえ良ければそれでいい。金の力でもっと貪ってやる。」という餓鬼道を地で行くものです。生きながらにして、あなたもう餓鬼道に落ちてますよね。でも、あなたが稼いだ金を、遠慮なく奥さんや息子さんが使うのは立派な「布施行」と言えるかも。もしかすると、アナタ自身がそれで餓鬼道から救われるかもしれませんよ。どんどんお孫さんのためにも使ってあげましょう。それがお孫さんの学習環境に役立つかどうかはさておいて。だって、見返りを求めては「施し」になりませんからね。では、また。
2019/11/14
あなたもう餓鬼道に落ちてますよね②
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。成金オヤジの話を続けます。
「わしは××中から高校まで行っとったんやけどな。わしが医者なりたい言うたら、校長がある医大の学長と知り合いちゅうんで、正直勉強なんて全然してへんかったけど、何とかそこに放り込んでもろてな。まあ、医大言うても底辺の学校や。こっちは開業医にさえなれればええっちゅう考えやったから、学校なんてどこでもよかったんや。実際、何の関係もなかったで。十分儲けたしな。」
「そうですか。だったら、××中に行って良かったですね。」
「別に関係あらへんで。そんなもん金積んだらどないでもなるねん。今でもそう変わりなんてないやろ?」
「さあて、どうですかね。少なくとも私(当塾代表)のところでは、どこまでも学力勝負させてますので。」
「そんなこと言うてても、結局は金持ってる家の子がええ学校行くんやろ。灘中にでも行くっちゅうんなら話は別やけどな。」普段なら適当にお帰りいただくところですが、半分見下したようなしたり顔で突っかかってくるので、しゃーない、一発かましたろか。
「いやいや、こちらも勉強不足で。残念ながら(?)お金の力だけでええ学校行く方法って知らないんですよ。私の実家もごくごく普通に商売していただけで、とてもとてもええ学校に入れるだけのお金はなかったですけど、中学受験して私立には行かせてもらったもんで。」
「(ふんっ、塾風情がどうせ大したこともなかろうという顔で)そうかいな。で、どこの学校に行ったんや?」
「それが偶然にも、ついさっきアナタが『そこやったら話は別』っておっしゃったところなんです。確かに、お金の力だけではどうにもならない学校ですよね。よくご存知だなあと思っていたんですよ。」えっ?という表情に変わったところに、ウチの教室長がもう一押し。「ええ、そうなんですよ。中学受験をよく知っているから塾生にも厳しくてね。自分で勉強する姿勢も持てないんじゃ、いくら親が金積んでも受からんぞって。カミナリ落とした後にフォローするのも大変なんですよ。」と言いつつ、必死で笑いをかみ殺している様子。
オヤジはというとさっきまでの威勢はどこへやら、ちょっと冷やかしで試してやろうとしたのがすっかり当てが外れたという感じ。とはいえ、自分から突っかかっておいて尻尾を巻いて退散するのは流石にプライド?が許さなかったようで、何もなかったかのように話題を転換してきました。それでもやっぱりお金の話なんですけどね。この続きは次回に。では、また。
2019/11/03
あなたもう餓鬼道に落ちてますよね①
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。「おぼんのおはなし」中学受験に置き換えて言えば「我が子の将来のためとしながら、我が子が他の子よりも優れていることを示すことで、その子を育てた自分を賞賛してもらいたいという、自己承認欲求に陥っている親御のことを戒めているお話」だったのではないでしょうか。
本当に我が子のためだというなら、受験勉強の過程で我が子がどんな成長をみせたか、今抱えている課題は何なのか、それを克服するために何をするべきか、それらを踏まえて長期的な計画をどう組み立てるか…等々、どこまでもお子さんの目線に立った上で、あくまでもサポートに徹するのが親の役目です。でも、どうでしょう。我が子に中学受験をさせるきっかけからして「自己満足のため」だという残念な親御も多いのではないでしょうか。
「隣の家のあの(ボンクラな)子が難関中に入った」「これまで仲良くしていたママ友の(ウチの子よりもバカっぽかった)子が有名進学塾に通い始めたらしい」「ウチのパパみたいになったら人生負け組だわ」これらの共通項は何でしょうか?他人との比較ですね。それが身近な存在であればあるほど感情も峻烈になるようです。近親憎悪とでもいうものでしょうか、よく知っているだけに粗を探し出しては「あの人よりは自分の方が上だわ」と感じて、しょーもない自尊心を満たしているのでしょう。そんな「自分より下」のはずの存在が、中学受験で成功した、または成功しようとしているというのだから心中穏やかじゃない。「ウチの子だってやればできるわよ」と鼻息も荒く中学受験の世界に飛び込みます。
ところが世の中そんなに甘かぁない。ライバル(と勝手に思い込んでいるだけ?)の向こうを張って同じ進学塾に入ってはみたものの、正直全然ついていけず、テストはいつも低空飛行、クラスも下がりこそすれ上がる気配は全くなし。親御のプライドも木っ端微塵で跡形もなし。目の前の点数や成績だけがすべての関心事となり、余計にストレスが溜まっていく。「高い授業料を払っているのに」と塾に乗り込んで八つ当たりし、成績のいい子に対しても「家庭教師でも雇ってテスト対策でもしているんでしょ。お金持ちはいいわよね。塾の成績だってお金で買えるんですもの。」等と陰で言いたい放題。「常に飢えと渇きに苦しむ世界。日頃、強欲で嫉妬深く、人を思いやる心がない人が落ちるところ」生きながらにして既に餓鬼道に落ちているのです。
先日、教室に随分と態度のデカい、いかにも「成金が服を着て歩いている」という体の年配オヤジがやってきました。「ここは中学受験をやっている塾なんか?」看板にそう書いとるやんか、と思いつつ「その通りですが」「わしは私立の××中の出身なんやけどな。知っとるか?」ピンときました。なるほど、こちらを試しとるなと。「ええ、よく存じ上げてますよ。最近新たにコース制を敷いて、最上位クラスはなかなか合格するのは難しいですねぇ。」「そうかぁ?私立なんて、金積んだら大抵入れるんちゃうのか?」何の断りもなく、受付の机に持っていた買い物袋を無遠慮にドンと置きながらそうのたまわれます。そうですか。ならば、僭越ながら(一部の不心得者を除いた)中学受験に真面目に関わる皆さんを代表して、アナタも充分餓鬼道に相応しいですよと「引導」をお渡ししましょう。では、また。
2019/10/20
ママも餓鬼道に落ちちゃうの?③
神戸市北区西鈴蘭台の塾、中学受験・中高一貫校進学指導専門塾の灘中学受験Academiaです。我が子である自分を愛する余りに餓鬼道に落ちてしまった母親を、目連さんは救うことができるのか。そこから話を続けましょう。
お釈迦様はこう続けました。「餓鬼道に落ちた者を救うことは難しい…たとえ百戦錬磨の目連の超能力であってもできないのだ…」「そんな…お願いします!私が身代わりになっても構いません!母を助けたいのです!」涙ながらに訴える目連さん。「まあ聞け、目連…超能力で母だけを救うことはできない。しかし、施す功徳があればできないことはない。多くの修行僧に食事を施す供養をしなさい。七月十五日に3ヶ月の修行が終わる修行僧たちに、たくさんの食事を施して供養するのだ。清らかな僧たちが心を一つにしてその布施を受ける功徳は大きな力となる。これによって自分の親ばかりでなく、多くの人々が苦しみの世界から救われるであろう。貪りの罪で餓鬼道に落ちてしまった母だからこそ、見返りを求めない施し(布施行)で救いなさい。」目連さんはたくさんの食べ物を盆に盛り、たくさんの修行僧を供養したところ、修行僧たちは喜んで祈りました。自分の親ばかりでなく、周囲の人々すべてが苦しみの世界から救われますように…こうして目連さんの母は救われ天上界へ行くことができました。それを知った人々は喜んで踊ったと言われています。
「それが盆踊りの始まりと言われているのよ。」ボンちゃんのお母さんは、そうボンちゃんに教えてあげました。「盆踊り、大好き!」無邪気に答えるボンちゃん。「そんなわけでお盆はとても大事な行事なの。」「ふーん」と言うボンちゃん、なんだか様子が変です。「あら、どしたの?」「もしかして…ママも餓鬼道に落ちちゃうの?」そう言ってボンちゃん、泣き出してしまいました。
「ボンちゃん…ママはボンちゃんのためなら何だってしちゃうわよ!だから、ボンちゃんが泣かなくて済むように、餓鬼道に落ちないよう気をつけるね!」お母さん、思わずボンちゃんをぎゅっと抱きしめました。「…ホント?」「本当!」それを聞いたボンちゃん、パッと顔が明るくなったのですが、次の言葉がこれ。「それじゃ僕、他の子を押しのけなくて済むように勉強しないよ!」「え!?」「じゃ、今日は遊びに行ってくるねー!」元気に駈け出していくボンちゃんに「待ちなさーい!それ違うからぁー」
ボンちゃん、それ単に遊びたいがためのこじつけだよ。これではママが餓鬼道に行く代わりに、あんたが「日頃、善悪の理性がなく本能のままに行動する人が落ちるところ」畜生道に落ちちゃいますよ。ママの気苦労も絶えないわけですね…なんて話を書いていたら、正に現世を餓鬼道に生きているような人が目の前に現れました。次回はその話をしましょう。では、また。